個人のブログから利益を生むビジネスへ:TokyoDevのストーリー

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Paul McMahon

Founder of TokyoDev

This article is also available in English.

TokyoDevは僕の個人的なブログとしてスタートしました。日本で開発者として過ごす日々を綴ったブログが、今では、僕がこれだけで食べていけるぐらいの利益を生み出す求人サイト事業へと成長しました。数百人の開発者が日本での最初の仕事をTokyoDevで見つけていて、文字通り、彼らの人生を変えたのです。誰かの人生に影響を与えている。これほどやりがいを感じられることはありません。

最初にブログを始めたときは、事業化しようとは考えていませんでした。でもTokyoDevは、まるで長い旅のように、15年かけてゆっくり自然に成長してきました。この記事では、こじんまりと始まった個人ブログが利益を生む求人サイトとなり、月に数万人が訪れるコミュニティへと進化したストーリーをお話しします。

ドメインを取得

僕は、2008年にtokyodev.comのドメインを取得しました。当時、東京の会社でソフトウェアエンジニアとして働いていて、新しいビジネスチャンスを模索しようとしていました。それまではhotmailのメールアドレスを使っていたのですが、独自ドメインのほうがプロフェッショナルな印象を与えられるかなと考えたのです。あまり深く考えず、短くてわかりやすいし取得可能なドメインだったので、tokyodev.comというドメインにしました。

「プロフェッショナル」なメールアドレスのために取得したものの、その後かつての同僚2人とコンサルティングビジネスを始めたことから、使う機会はないままでした。数年は簡単な個人プロフィールを載せていただけで、ほとんど何も掲載していませんでした。

日本の技術系イベントについてブログを書き始める

2010年、日本最大のRubyカンファレンスであるRubyKaigiに参加しました。Rubyを作ったのが日本人なので、Ruby周辺のコミュニティは日本で一番活気があるコミュニティの一つです。この頃、Ruby on Railsの成功により、世界中がRubyに関心を寄せていました。その流れで、ほぼ日本人のための日本のイベントだったRubyKaigiは、海外からの登壇者が多く参加する国際的なイベントに変わっていたのです。

そこに参加した僕は、海外から来日した登壇者の多くが、同じく海外からきた登壇者や僕のような日本在住の外国人としか交流していないことに気づきました。僕自身は、そういう人と知り合える機会がありがたかった一方で、グローバルのRubyコミュニティと日本のRubyコミュニティの間に壁があるように感じました。そして、日本に住んでいる外国人エンジニアという立場の僕だからこそ、この壁を取り払えるのではないかと考えたのです。

そこで、RubyKaigiの後、日本と海外のRubyデベロッパをつなぐことを目標にしたTokyo Rubyist Meetupというイベントを立ち上げました。自分のイベントだけでなく、すでにある日本のコミュニティにも積極的に参加したいと思い、東京のデベロッパイベントに顔を出し始めました。平均して週に1~2件のイベントには参加しました。

当時のブログ記事
当時のブログ記事

数々のすばらしいイベントに参加するにつれ、日本のコミュニティで起こっていることを世界中に知ってほしいと思うようになり、tokyodev.comでそういったイベントのことをブログで書き始めました。

転機となったメール

そして2011年8月、こんな内容のメールを受信しました。

Ruby on Railsを最近知り、非常に興味を持った者です。日本でRuby関連の仕事に就けないかと探すうちにあなたのウェブサイトとブログを見つけました。自己紹介をしたかったのと、あなたが日本でデベロッパとして働くようになった話を聞けないかと思い、メールを送りました。日本でキャリアを始めるためのアドバイスをもらえませんか。

ブログに問い合わせが来たのは、これが初めてでした。僕と同じ道をたどろうとしている人を助けられることが嬉しくて、さっそく返事を書こうとしました。でも書き出してみると、他にもこういう内容を知りたい人がいるかもしれないと思えてきました。そこで、「どうやって僕が日本にソフトウェアデベロッパとして来たか」というタイトルで、ブログに投稿してみたのです。

最初に掲載した時のそのブログ記事
最初に掲載した時のそのブログ記事

僕が知る限りでは、そのようなトピックに関して英語で書かれた記事は他にありませんでした。そのため、「software developer job in Japan」といった検索ワードの検索結果では、当然、僕の記事が一番最初に表示されるようになりました。そうすると、日本でデベロッパの仕事を探すには?といった質問がもっと来るようになりました。そんな質問が来るたびに回答をブログで書くことを続けているうちに、どんどん大きく広がっていきました。

メーリングリストを開始

そのうち、日本の会社で日本語不要のソフトウェアデベロッパを探しているという話が耳に入ってくるようになりました。そういう求人はどこでも公開されていないことが多かったのですが、コミュニティに積極的に参加する中で耳にするようになっていったのです。そこで、2012年10月に、そういった求人情報を配信するメーリングリストを始めました。

それから2年ぐらいの間に、そのメーリングリストに合計12件のメールを配信しました。2014年11月までには、345人の人がメーリングリストに登録していました。インターネットの世界では大した数字ではないですが、僕のメーリングリストを通してすでに何人かが日本での職を得たと聞いていたので、無意味ではないことは確かでした。

メーリングリストを有料化

最初にメーリングリストを始めたときは、ただ誰かを助けたいという気持ちでした。そのため、それを事業化することを目標にしていたわけではありませんでした。でも、僕が配信した求人情報で仕事を見つけたという成功体験を聞くことが増え、そして同時に、日本では雇用が成立した人の年収の30%をリクルーターに支払っているといることも知りました。僕のメーリングリストはリクルーターとまったく同じサービスではありません。でも、企業から報酬を受け取れるはずのサービスを無料で提供していたわけです。

そこで、「無料で提供した分のお金」をいくらか回収しようと考えました。求人掲載したい企業の妨げにならない報酬体系なら、それまでと変わらずデベロッパを助けることもできます。一番いい方法はリクルーターと同じ成果報酬制だと考え、採用した際に報酬を受け取ることにしました。

僕のメーリングリストを使っていたのは、ネットワーキングイベントなどで個人的に知り合った企業ばかりでした。だから、簡単な契約を交わしつつも、基本的にはお互いの信頼に委ねた契約でした。つまり、求職者は企業に直接応募し、採用が決まったら僕に知らせてもらうというものです。そんな契約に基づいて求人を掲載した最初の企業は、予想に反することなくデベロッパを採用することに成功しました。

求人サービスについて掲載した最初のページ
求人サービスについて掲載した最初のページ

掲載する求人の数が増えると、個人的なつながりがない企業からも依頼が来るようになりました。そういった企業とは僕自身は面識はないものの、やはり信頼関係に基づいた契約にして、誰かを採用した場合には知らせてもらうようにしました。この話をいろんな人にすると、それでビジネスが成り立っていることによく驚かれます。でも、これが日本で事業をする上で素晴らしいことの一つだと思っています。信頼に基づいた契約をした取引先を、ちゃんと信頼できるのですから。

もちろん、採用をした企業が知らせてくれないケースがなかったわけではありません。でも、そういった企業はこちらが申し立てをすると、大概は「きちんと把握できていなかった」と言って、支払うべき報酬を払ってくれます。こういった問題が起こるのは非常に稀なので、見張りを強化するのも無駄に思えました。

メーリングリストから求人サイトへ

当初は数百人の登録者だったメーリングリストですが、2018年には5,000人以上にまで増えていました。また、数ヶ月に一度、1件のメールを配信する以外はほとんど手間もかからなかったのが、ほぼ毎週メールを配信することになり、やらなければいけないことも増えていました。

求人サイトとしてのTokyoDevが始まった頃
求人サイトとしてのTokyoDevが始まった頃

でも、サイトは僕の個人ブログの時と大して変わらず、求人情報はメーリングリストでしか見れないままでした。時間が経つにつれ、この方法では満足できないブログ読者から指摘されるようになっていました。例えば、過去の求人が見れないとか、友人に求人情報をシェアしにくいといったことです。そのような指摘を受けて「求人掲示板」コーナーをブログに追加。メーリングリストに掲載した求人情報をそこにも載せることにしました。そしてその後、デザイナーと一緒に、ブログ全体を求人情報を中心としたサイトに作り変えました。

本格的な事業へ

2019年には、僕がメインでやっていた仕事の稼ぎを超えて、TokyoDevが僕の最大の収入源になりました。この年にTokyoDevが拡大した理由を特定するのは難しいのですが、いくつかの要因があったと考えています。

まず、2018年の終わりにIndeedがクライアントに加わりました。僕が主催したCTOを対象にしたイベントに、Indeedのエンジニアマネジャーが参加したことがきっかけです。その頃、Indeedは日本の年収を大幅に上回る米国の年収レベルで外国人デベロッパを大量採用し、日本のテックシーンをざわつかせていました。Indeedが顧客の名前に加わることで、他の企業が見に来た際にもTokyoDevに箔がつきます。

二つ目の要因は、個人的なブログのメーリングリストではなく、求人サイト事業としてTokyoDevを運営し、人にも話すようになっていたことです。ちゃんとした事業として見てもらうことでIndeedのような他企業にとってより使いやすく、関係者の理解も得やすくなったのだと思います。

三つ目は、新しく獲得した顧客に対しては、それまでよりも高い報酬額に設定したこと。一件の採用に対する利益が大幅に増えました。

四つ目は、かつてTokyoDevを使ったスタートアップ企業が成長し、その後6人ぐらいのデベロッパを続けざまにTokyoDevで採用したこと。

そして最後の要因は、日本のスタートアップ企業で国際色豊かなエンジニアチームを作ることが急速に一般的になったことです。そのため、メーリングリストを始めたときに比べて、マーケット自体が大きく成長していました。

こうして成功を掴み始めたTokyoDev。僕は他の事業をやめて、TokyoDevに注力することを決めました。

新型コロナウィルスの影響

2020年初めに新型コロナウィルスが世界中に広がった頃、日本は新しいビザ(査証)の発行を停止しました。TokyoDevで採用された多くのエンジニアは海外から日本への移住を希望していましたが、日本の厳しい入国管理規制でそれが難しい状況に。日本への入国と移住を前提にした採用を、成功報酬制で受け取ることになっていたため、成長が鈍化し、2020年はその前年よりもわずかに増収する程度の成長にとどまりました。

ところが2021年と2022年、TokyoDevは爆発的な成長をとげました。2020年の間に停止していたすべての採用が入国緩和に伴って再開され、前の年の成功報酬が支払われたことが要因の一つです。それに加えて、企業のグローバル採用の体系の変化も影響しました。

新型コロナウィルス以前は、ほとんどの日本企業は出社を前提とした経営をしていました。しかしパンデミックにより、ほとんど全ての企業がリモートワークに移行。それまでは採用プロセスも対人が基本だったのが、全てオンラインで実施されるようになりました。様々な運用において新しいスタンダードが生まれたことで、海外在住者の採用にも対応しやすくなったと言えます。また、リモートワークに慣れた日本企業は、ビザ申請の許可が下りるまでにリモートでの採用を進めることができるようになりました。これにより採用のスピードも速くなり、その結果、多くの企業が海外からの人材採用により高い期待を寄せるようになりました。

一人事業から事業を拡大

TokyoDevの運営にはほとんどコストがかかっていなかったので、生み出された利益はすべて僕の収入となっていました。しかし、自分だけの利益を追求する代わりに、その収益を事業へ再投資したらどんな可能性が開けるだろうかと考えるようになりました。また、僕のサイトを利用している開発者たちに支えられて、私一人が豊かになっていくことに、どこか罪悪感を感じていました。

そこで2022年、僕の一人事業から脱却し、事業を拡大させていくことを決心。進行中のプロジェクトごとに関わってもらう人を増やしていきました。そして現在、TokyoDevでは6人が業務委託契約で働いています(フルタイムで働いているのは僕だけですが)。

スタッフを迎えてよかったことはいくつもありますが、一つは、TokyoDev自体がスタッフ2人のワーキングビザ更新をスポンサーしたことで、僕自信がビザ更新の手続きがどんなものかが実践でわかったことです。手続き自体は難しくないですし、こうした自分の経験に基づいて他の企業に「大丈夫ですよ、心配ないですよ」と安心させてあげることができるからです。

かつては僕が1人で書いていたTokyoDevのブログは、今では僕以外に8人のライターを抱えています。だから、僕だけではく、他のデベロッパの経験も紹介することができるようになりました。女性としてフィリピン人として、そして障がい者として、日本で働くのがどのようなものかを当事者であるソフトウェアデベロッパが綴った記事もあります。このライターたちはTokyoDevのDiscordコミュニティのメンバーです。幅広い視点や考えに触れることができることが、彼ら/彼女らと協業するすばらしいメリットの一つだと思っています。

また、TokyoDevは日本のデベロッパコミュニティへの協賛も始めました(とりわけテック業界の女性を支援するコミュニティ)。そもそもTokyoDevを始めるきっかけになったのがコミュニティだったので、原点に帰るような想いですし、TokyoDevを成長させてくれたコミュニティに恩返しができることを嬉しく思っています。

純粋にビジネスの観点から見ると、こういった出費がTokyoDevを成長させてくれたり利益拡大に直接的に貢献しているかはわかりません。2023年がまもなく終わろうとしていますが、利益だけで見るとTokyoDevは昨年と同じぐらいで着地しようとしていますから。でも、昨年は米国のテックシーンが崩壊しました。日本のテック企業はそれほど影響を受けなかったとは言え、求人マーケット自体はより競争が激しくなっています。だからこれらの投資がなければ、今年のTokyoDevの業績は現状よりも悪かったかもしれません。

一方、僕たちの最大のミッションである「海外エンジニアの日本でのキャリアスタートやキャリアアップをサポートする」という観点でいうと、紛れもなく成功だったと言えます。

進化を遂げた現在のTokyoDev
進化を遂げた現在のTokyoDev

TokyoDevがうまくいった理由

TokyoDevは決して一夜にして成功したわけではありません。有料化するまでに5年もブログを書いていましたし、目に見えて大きなリターンを得るまでにはさらにそこから5年かかりました。最初から本格的な事業にすることをゴールにしていたら、果てしなく長く思えたでしょう。でも、金銭的な野望がなかった僕にとっては、物事が進むのが遅すぎると感じることはありませんでした。

とはいえ、こうやって自分自身のストーリーを振り返ってみると、すべてがあるべきところに落ち着いたし、事業として成功できたことは本当にラッキーだったと思います。でも一つだけ確実に言えることは、僕のチャンスのすべては、イベントとコミュニティ、そして人とのつながりに導かれたということです。

参加したイベントを世界に知ってもらいたいと書いたブログ。それが、日本でデベロッパになるってどんな感じだろうと興味を持つ人や、同じように日本でデベロッパとして働くにはどうしたらいいかを知りたい人とのつながりを生んでくれました。

参加したイベントやコミュニティを通して、そこ以外では知り得なかった求人の情報を手に入れられて、一番最初のクライアントも獲得できました。彼らは報酬を払ってでも僕のメーリングリストに求人を進んで掲載しようとしてくれたし、採用が成功したら僕に教えてくれるはずと彼らを信じることができました。それができたのは他でもなく、みんな知り合いだったから。

Indeedのような有名企業と仕事をするという次のチャンスも、イベントがきっかけで訪れました。僕自身をイベントで目立った存在にすることで、TokyoDevを大いに生かせる力を持ったIndeedの担当者のアンテナに引っかかることができたのです。

お互いに助け合うコミュニティという場所で活動的になることの意義を、この記事で知ってもらえると嬉しいです。TokyoDevのミッションは人を助けることです。そしてミッションを体現するかのように、いつも誰かを、そしてより多くの人を助けるコミュニティへとTokyoDevはこの瞬間も成長しています。最近は、Discordのコミュニティを成長させることに注力してきたのですが、今、僕たちのDiscordコミュニティは日本国内外の人をつなげるすばらしい場所になっています。

TokyoDevが次はどこへ向かっていくのか、楽しみで仕方ありません。

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Paul McMahon

Founder of TokyoDev

Paul is a Canadian software developer who has been living in Japan since 2006. Since 2011 he’s been helping other developers start and grow their careers in Japan through TokyoDev.

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